チョコチップ劇場

Takayoshi Kajiwaraの〜チョコチップ劇場〜

停滞

みんなの転機をこのブログで知ります。


つかもちです。




「停滞」

停滞という言葉。
まぁネガティブな言葉にしか思えませんよね。
いつも同じことを繰り返してやっている。同じ場所、位置にいる。もしくは閉じ込められている。自分の成長が感じられない。僕はこういう時にこの言葉がよぎります。

そして、そんな時にどんどんステージを変えて活躍するような人を周りに見ると、憧れそして焦ります。自分の今やってることや立っている場所が変にチンケに思えてしょうがないです。

僕自身、これまで保守的だった訳ではありません。就職活動はせず大学を卒業して、貯めたお金で日本を旅し、その旅が終わったらずっと夢であったアパレル業界に就くべく、カバン一つで東京に出てきて、そして今はアパレルECを得意とする会社に就職しています。
もしかしたら、誰かの目に僕は「どんどんステージを変えて…」な人として映っているのかもしれません。

しかし、この「停滞」という悩み、焦燥感、は大学から今、もっと言うと中学からずーーーーーーっと心にありました。

きっとこういう悩みって誰にでもあるんではないだろかと、

今にノッてる団員のタカヨシだって、jumboだって、ふと頭のスイッチを切り換えるだけで…




これは言葉簡単にきっと人の欲深さが関係してるんでしょう。

「現状に満足するな」

は、そんな欲を後押しするにはもってこいです。僕もこの言葉をずっと肯定してきました。だからこう、自分なりになんの保険もかけずガンガンこれたんだと思います。そしてこれはこれで良しとできます。

でも、最近は「我慢も必要だなぁ〜」っと思ってて、以前にここで書いた「10000時間の法則」によると天才と呼ばれる人たちはその分野に10000時間以上を費やした人たちである。と言われてる。

野球選手やサッカー選手然り、

僕の中で天才には2種類ある。
一つは脳が異常なほど発達している人。記憶力とか計算力とかがあり得ないレベルの人だ。例えば辞書を1時間眺めただけで全て暗記するとかの類。

もう一つの天才はある職業・学問などの分野において努力の結果スキルが向上し、周りに天才だと評価される人たち。
もちろんどちらも兼ね備えている人ほど貴重だけど、今の世の中の天才市場では後者の天才が殆どだ。と思う。


これにみると、僕の今までの様に、次々にステージを変えて進んでいくのがもはや逃げの様にも思えてしまう。
タカヨシは一貫して飲食業のステージ変更。jumboは同じ会社内でのステージ変更。これは素晴らしい。理にかなっている。結局、羨ましい。

ただ、僕のやってきたことは全てが仕切り直しになるステージ変更だ。
アパレル販売員の経験が今活きていないかと言われればそんなことないが、使えない経験だってマァーーあります。

こういうステージ変更は進んでる様に見えて、逆に非効率なんだ。
だからひとつのステージに留まる我慢も必要だと思うんです。

そうは言っても尽きない「停滞」の悩み。

まず、次のステージを場所や立場という観念ではなく、もっと本質的に見極めなきゃ行けない。
10000時間なんていうのは気休めで、そんなんで天才になれたら小学校から高校までサッカーやってる人みんなプロ確定だ。でも、この時間は最低限だと思う。その分野を極めたいのなら最低限10000時間は関わらないといけない。能動的に努力しないといけない。話をひっくり返すようだけど、その上で場所や立場が変わっていくのは良い。常に極めたいものにベクトルを向けていけるのであれば…。そう思っています。


さて、停滞。
これをどうまとめようかですが、画面上から下まで考えた結果、結局は尽きない悩みだなぁ〜。とw

何か夢やテーマを見つけて、そこに人生を懸ける人っていうのは停滞に焦りを感じつつも、その夢やテーマに焦点を当て続けること、ぶらさないこと。
そのためのステージ変更と我慢を掛け合わせ進め。
ってことでしょうか?



なんかよっくわかんねーや!ъ(゚Д゚)





僕がここでいう停滞を感じつつも我慢を強いられる状況によく見る映画があります。最後にその主人公の終盤のセリフで締めたいと思います。














「それでも・・・昨日と今日は違う 今日と明日も きっと違うだろう いつも通る道でも 違うところを踏んで歩くことができる いつも通る道だからって 景色は同じじゃない それだけではいけないのか それだけのことだから いけないのか」




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力抜けるけど、「ふぁ〜、がんばろ〜」って思えます。


ccgd  つかもち